2010/02/27

パラグアイの食料事情①

今日もまた朝から雨です。

先日、パラグアイの中央市場(Mercado central de abasto)に行ってきました。その様子を書きたいと思います。パラグアイの主食としてはマンジョーカ(キャッサバ)が中心で、その他トウモロコシ、小麦粉、そして肉が挙げられます。日本のように米はあまり食べません。食べるとしても、水田ではなく陸地で栽培した陸稲(オカボ)です。中央市場は首都アスンシオンの台所で、様々な食材が所狭しと並べられていました。


マンジョーカ(キャッサバ)です。皮をむいて茹でて食べます。日本の米のように、味付けはほとんどしません。


トウモロコシです。乾燥させて粉にして使います。団子状にしてスープ入れたりします。


魚です。海の無いパラグアイでは、ほとんどが川魚です。写真はおそらくナマズ(?)です。


牛肉です。多くの家では週に一回、アサード(asado)と呼ばれる焼き肉をします。(肉は塊のまま焼かれます。日本とはケタが違います…)パラグアイの人達は、本当によく肉を食べます。味付けはもっぱら塩です。これも土着のインディヘナの人々が狩りをして暮らしていた事の名残でしょうか?



一方の野菜は、もっぱらサラダで食べられています。しかし物によっては飾り付けの役割でしか使っておらず、しかも特に夏場の暑い時期はかなりの割合で隣国のブラジルやアルゼンチンから輸入されています。野菜栽培の技術が発展しない一つの理由だと思います。それでも確かにパラグアイ国内で生産された野菜もあります。特に日系移民の人々によって作られる野菜は質が良く評価が高いです。

明日はそんなパラグアイの野菜の事を書きたいと思います。

トマト鉢上げ & 直播き

先日播いたトマトが元気よく双葉を広げています。


今日はその鉢上げをしました。

パラグアイにも日本のようなプラスチックのポットがありますが、値段が高すぎるため普通の農家さんは使っていません。その代わりに写真のようなビニール製の袋に土を詰めて使います。



育苗土は赤土と山の腐葉土をふるいにかけ、それぞれ1:1の割合で混合しました。じゃっかん草木灰も加えました。



鉢上げ後はたっぷりと灌水し、しばらくは遮光下に置いておきます。


鉢上げは重要な作業なので、慎重に作業を行っていました。すると手伝っていた同僚が飽き飽きした顔で、「直接ポットに種を播けば?」と一言… 彼曰くそれでも立派に苗ができるとか。言われたのがショックでしたが、一理あると思いました。彼の言った事が本当かどうか分かりませんが、日本のやり方に囚われる必要がないのも事実です。

それならむしろ直接畑に種を播いてみれば?と思い、さっそく直播きしてみることにしました。


耕していない不耕起状態の畑の枯れ草をかき分けてみると、そこには色んな生物が潜んでいました。(写真中央はヤスデです)人の手が入らない領域では、手つかずの生態系が存在するのを感じました。地温が高く、有機物分解の早い南米では、むしろ不耕起のままゆっくりと有機物の分解を促す方が適している気がします。

種を播き、覆土してしっかり押さえます。


今日は色々と考えさせられる一日でした。パラグアイにはパラグアイに適した農法があるはずで、それは日本とは異なるものだと思います。しかし日本のやり方に囚われている現状、言い換えれば日本のやり方を押し付けているようなものです。ちょっと見方を変えてみる必要があります。

2010/02/26

ホウレンソウ種まき & ミツバチ!

長雨を抜け、今日はカラッと晴れました!

早朝、雨によって潤った土を利用してホウレンソウの種を播きました。

高温による地表面の渇きを防ぐため、不耕起のままで試します。(トラクターや耕運機が無いのも事実です…)

・周りの枯れ草をかき分けて溝を作ります。


・種を播き、しっかりと鎮圧して完成です。



午後は野菜の上に遮光シートを張らせる為の基礎を作りました。

写真では分かりにくいですが、柱を何本か建て、その上に針金を張り巡らします。今後、その上に遮光シートを設置していく予定です。



《ミツバチ》

今日は仕事終了後、知り合いの農家さんの家に遊びに行きました。そこではいわゆる土着のミツバチ(木箱を設置しておくと勝手に入って巣を作ってくれるミツバチ)を飼っていました。日本の研修時代に師匠と蜂蜜を採ったのを思い出しました。
日本では年に一回蜜を採取しますが、パラグアイでは気候が温暖なため、年に二回採取するそうです! 早く蜜を食べてみたい…

こちらが普通のミツバチです。(写真中央、木箱の上部に隙間があり、そこからミツバチ達が活発に出入りしていました)


とても興味深かったのは、同じ土着のミツバチでも別種がいると言う事です。その別種と言うのがこちら!

写真では分かりづらいほど小さいハチです!体長2~3㎜程の大きさで、木箱も同じく小さめでした。採れる蜜の量もわずかな為、高値で取引されているとか…

世界中、蜜に魅了されて同じような方法でミツバチが飼われているのは非常におもしろい!

2010/02/25

強ネギ

今日も朝から雨で畑に出れません…


パラグアイに来て驚いたことがあります。ネギ(葱)の強さです。日本では冬を旬として食べられていて、寒さに強い事は知られています。しかしパラグアイのような高温地域でも、他の野菜が畑にない時期(もっとも暑い時期)にネギだけは枯れずに育っています。耐寒性、耐暑性その両方を持ち合わせていたんですね。はじめて知りました。

さらに乾燥にも強く、雨の降らない時期も問題なく育っています。ネギの葉は乾燥しにくく、さらに水分を溜める事が出来るんですね。

そんなネギはパラグアイでも薬味みたいな役割で食べられます。スープなんかには結構入ってます。ちなみにパラグアイの人達にとって、ネギはその強さゆえ雑草(?)的な扱いです。畑の脇に生えているネギはもはや踏まれまくっています。それでも何度でも起き上がるネギは偉大です。

こっちのネギはぶんけつ(茎が分かれる)タイプなのでその都度分けて植えかえれば次々に新しいネギを栽培できます。

自分にもネギのような強さが欲しい…

2010/02/24

トマト②

今日は午前中、畑の開墾作業をしました。一緒に働いてくれている同僚は自分以上に働き者で、南米の人は働かない、と言うのは嘘だと思います。


開墾作業は終盤を迎え、ようやくジャングル(?)を抜けだしました。



今日はトマトの種まきの話。

現在開墾中の畑にトマトを植えるため、トマトの種を播きました。降雨時の洪水(?)から苗を守るため、さらに管理をしやすくするために廃材を利用して台を作りました。

長野県安曇野で研修していた頃、師匠と一緒に廃材で鶏小屋を造った事を思い出します…パラグアイに居てもやることは同じです。

さて次は苗箱ですが、日本のようにプラスチックの物はありません。そこで野菜を運ぶための木箱(と言っても隙間だらけです…)を改良して苗箱(45cm×35cm)を作りました。その中に育苗土を入れ、苗床の出来上がりです。


縦に5~6本の筋を付けて種をまき、覆土して押さえます。後はたっぷり灌水し、新聞紙で覆って発芽を待ちます。

種は日本に比べべらぼうに安く、発芽率が心配でしたが、現在問題なく発芽中。
(また写真を撮り忘れました…)

 午後は雨がどしゃ降りで動けません。
こんな時は晴耕雨読で勉強するに限ります。

2010/02/23

トマト①

本日、午後から雨で道が川になりました。
そんな景色にも慣れてきた今日この頃。

たまに見える青空は日本では経験できないほどきれいです。


現在自分が所属(?)しているマジョール・オターニョ農協では、主にマテ茶の原料となるお茶の葉や、マテ茶に混ぜるミント、そしてオレンジなどが主な収入源になっています。しかし秋の収穫期以外、ほとんど農協は機能しておらず、農閑期にも何か換金作物が作れないものかと考え、現在トマトの栽培が検討されています。

しかし40℃を超す気温の為、工夫なくして野菜の栽培は難しく、さらに元々野菜をあまり食べない文化の為、野菜栽培の経験や技術に乏しいのです。逆に考えるとここの土地は野菜を栽培するのに適していないのかもしれません。しかしそんなことは言ってられません…

農協の会員の中に、トマトを少し作っている方がいると聞き、さっそく見に行ってきました。なかなかの出来栄えで現在収穫を行っているとの事。(トマト全体の写真を撮り忘れました…)

しかし客観的に観察する上で、課題だと思われる点がいくつか見えてきました。

①株と株の間隔が狭く、トマトの木が徒長気味。


②パラグアイの気候下では日中、土表面の温度が70℃近くになることもあるが、なんの遮光もしていない。このため根元が焼けている株もありました。有機物マルチなどが効果を発揮しそうです。

③強い光を好むトマトですが、パラグアイでは太陽の光が強すぎてトマトの許容範囲を超えています。しかし上層部もやはり遮光はしておらず、特に日光が一番強く当たる個所では、ほとんどトマトの成長が止まっていました。

課題はいつでも湧いてきますが、どのように改善していくのか考え行動していかなくてはいけません。さっそく農協の裏地に畑を開墾し、トマトを作ってみることにしました。

畑を開墾とは、簡単にできるものではありません…まさに開墾です。現在も続行中。



次回種まきの様子を書きたいと思います。

2010/02/18

任地に到着

約一週間に任地に到着しましたが、しばらくインターネットが繋がらず、久しぶりの投稿になりました。

首都アスンシオンに居た時には全く想像できなかったほど、任地のマジョールオターニョはいかにも協力隊的な場所です。

道です。雨の時は通れません…

2010/02/08

パラグアイの食文化

 相変わらず暑い日が続きます。現在アスンシオンに滞在中。

 今日は友達と外食することにし、ペルー料理を食べに行くはずでした。しかしいざその店に行ってみると、なんとパラグアイ料理屋でした。店内は高級そうな雰囲気で、入ったからには出ていきづらい雰囲気で、しょうがなくそこで食べる事にしました。パラグアイ料理と言ってもイメージが持ちずらいのですが、パラグアイの歴史を垣間見ると、なるほどと思う部分がたくさんあります。

 パラグアイには元々、土着の人々であるインディヘナと言われる民族が住んでいました。彼らは移動しながら生活をし、主食は狩りで得た動物の肉でした。今でも主食が肉であるのは、このころの影響だと思います。

 さらに時代が進むと、スペインの征服時代に入ります。征服と言っても、争いを望まなかった当時のインディヘナ達は、進んで混血を受け入れていきました。さらにスペイン以外の国からも多くの人々が訪れ、ある種の多民族国家になります。この頃には、食肉加工や乳製品加工の技術が主にヨーロッパから入り、食のバラエティーは一層豊かなものになりました。

 ヨーロッパからはその他にも、野菜栽培などの技術ももたらされましたが、パラグアイ人にとってなじみのない菜食の文化は、受け入れられるまでに長い時間を要しました。近年になり、健康志向などの面から野菜が重要視され、レストランなどでは野菜が多く見られます。しかしやはりニーズは少なく、特定の野菜に限られるため、依然として野菜嫌いの傾向は強いです。

2010/02/06

パラグアイの気候

 パラグアイはとにかく暑い、と言うイメージが先行しますが、実を言うと冬はとても寒いらしいです。もちろんまだその寒さは経験していませんが、先輩達の話を聞く限りでは、日本の冬よりも寒いとのこと。今の時期は真夏で、毎日40℃前後の気温になりますが、冬は2,3℃まで下がるそうです。でも僕が居た日本の長野県に比べるとなんてことないと思うのですが、そこにはパラグアイらしい事情があるようです…

 パラグアイは南米大陸の中央に位置し、海がないことからも夏場の暑さは桁が違います。そうなると、家の作りも暑さに対応したものになります。例えば、

①窓は木でできていて、非常に風通しが良い。
②玄関などは扉が鉄格子で出来ていることがある。

などの要因から、さすがに夏でも扇風機があれば思ったよりも快適に過ごせます。しかし裏を返せば、風通しの良い家ほど冬場に寒い家はありません。そして何より、夏場の暑さからか家に暖房器具は一切ありません。そりゃ寒いですよね。おそらく体感温度は日本以上でしょう。本当に日本は便利ですね。パラグアイにいると、むしろ日本が過剰な気がします。

2010/02/05

いよいよ…

 パラグアイ到着後、しばらくはめんどくさい一心でブログを休んでいました。と言うより、昨日までは活動と言うよりは、現地語学学習で、首都のアスンシオンから車で1時間ほど離れたイタグアという町で、ホームステイをしながらスペイン語の勉強をしていました。

 やはり実際に現地に来ると全然違います。全ての会話がスペイン語なので、とても慣れるのに苦労します。しかも1カ月間である程度の理解が必要なので、かなりの負担になります。でも今回の目的は、あくまでも現地の人達に成りきることなので、文句も言ってられません。

 スペイン語を勉強するのは人生において楽しみであり、自身の能力の向上にとっても有意義です。しかし実は、パラグアイにはグァラニー語と言うもう一つの言語があり、実に国民の80%以上の人達が2ヶ国語を話すバイリンガルです。しかも自分の任地(イタプア県)は農村地域で、そこではかなりの確率でグァラニー語が頻繁に使われています。と言うより、グァラニー語無くして活動は困難です。

(赤い丸が任地です。)

そんなグァラニー語は未だに全く分かりませんが、任地に行ったら現地の人の生活に溶け込み、徐々に理解していくつもりです。

 現在は語学訓練を終え、首都のアスンシオンで一息ついています。8日(月曜日)には任地に向かって出発します。気づけばパラグアイに来てから早1ヶ月が経とうとしています。この感覚でいくと、2年後なんてあっという間やってきます。どんなに活発に活動しても、「もっとこうすれば良かった」と言う思いは2年後もあると思いますが、2年間を充実したものにしていくのは自分です。そのためには何が必要なのか、しっかりと考えて行く必要があります。